爆発的な歓喜と穏やかな幸福、どちらが望ましいのか?

作者: lee author

爆発的な歓喜と穏やかな幸福、どちらが望ましいのか?-1

❓質問:
感情が溢れ出すような鮮烈で爆発的な喜びと、穏やかで安定した喜び、どちらが良いのでしょうか。以前、感情の振り子が大きく振れるのは良くないことで、中庸を保つべきだと読んだ記憶がありますが、あなたはどう思われますか?

❗️leeの回答:
このテーマは「どちらが良いか」という二元論ではありません。外部要因に対して激しく反応している限り、人は常に外の世界への依存サイクルの中にいます。それは、目の前に人参をぶら下げられたロバのようなものです。

ロバが人参に対してどれほど熱烈に反応しようとも、結局それを手に入れることはできず、ただひたすら走り続けるだけなら、その反応に何の意味があるのでしょうか。つまり、エゴを満たすために外の世界から十分なものを得ることは不可能なのです。そして、もしあなたが対極性のサイクルに囚われているなら、歓喜の反応の後には必ず、それと同じ強さの負の衝撃が待ち受けています。

分かりやすい古典的な例を挙げれば、誕生の喜びと同じ強さの感情が、葬儀の場でも現れることになります。一方で、全く別の次元の話として「ハートで感じる喜び」というものがあり、これはあなたが「ソースの流れ(フロー)」を直接受け取っている状態を指します。それは物理的な現象として表現されることもあれば、外的な兆候を一切伴わないこともあります。

これはエゴという仲介者を通さない直接的な受容ですが、エゴは感覚を歪めるだけでなく、別のものにすり替えてしまう性質を持っています。いわば、中身のないキャンディの包み紙のようなものです。包み紙の華やかさに喜ぶことはできても、中身が空っぽであれば、後で必ず虚しさが訪れます。

例えばゲームで勝った時に狂喜乱舞するなら、負けた時にはおそらく深刻なネガティブ状態に陥るでしょう。これはスタジアムにいる熱狂的なファンによく見られる光景です。したがって、真の意味は両極のバランスを取ることにあるのではありません。なぜなら、それは単なる感情の抑圧に過ぎず、いつか怒りの爆発やパニック障害として噴出してしまうからです。

真に大切なのは、今この瞬間にあるすべての周波数のスペクトルを、ありのままに通過させることです。判断や比較を介さず、世界を直接的に感じ取ることこそが本質なのです。

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ソース元

  • Сайт автора lee

  • Lee I.A.

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