水たまりの中の海:形而上学が解明するアイデンティティの本質

作者: lee author

水たまりの中の海:形而上学が解明するアイデンティティの本質-1

自分自身を見出すために、どこか遠くへ出向く必要はありません。

❓質問:

「私は在る(I Am)」という状態はサマディ(三昧)の第3段階にあたり、それをあらゆる事象の解決に役立てることを提案されている、という理解でよろしいでしょうか。すべてが順調であると悟ることや身体への働きかけ、さらには対象との分離を感じる問題に対して「非分離」の感覚を用いることなど、その活用範囲は多岐にわたるのでしょうか。この状態が不自然だとは思いませんが、現代社会ではこうした感覚に馴染みがないため、ポケットに手を入れるように簡単にはいかず、認識するには相応の準備や修練が必要なのではないかと感じています。

❗️leeからの回答:

あなたは実に見事なまでに、物事をあべこべに捉えておられます。「私は在る」とは、まさに今あなたが感じ、存在しているそのものに他ならず、どこへ行く必要もなくただ自分を指差すだけで、すでに正しい方向を指し示していることになります。その際、あなたが指を差すのは額ではなく、胸のあたり、すなわち「ハート」であることに注目してください。

ですから、自己をサマディの第3段階と呼ぶのは、地球を単なる「イチゴ栽培の道具」と呼んだり、道端の水たまりを「海の初期段階」と呼んだりするようなものです。

むしろサマディこそが「私は在る」にとっての「不自然な状態」であり、そこでは肉体という複雑な構造を介して自己を感じることを余儀なくされるからです。

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ソース元

  • Сайт автора lee

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