クォンタム・トランジット:肉体的な死後、識別能力は維持されるのか?

作者: lee author

クォンタム・トランジット:肉体的な死後、識別能力は維持されるのか?-1

❓質問:

著者の主張では、私たちの内にある「観測者」という側面がフォーカスや注意、感覚といった識別を行っているとされていますが、その一方で、生前にそのための特別な修練を積んでいない限り、死後にはこうした識別能力が失われると説く人々もいます。これは識別能力そのものが肉体的な精神に依存していることを示唆しており、人間が成長するにつれて、その能力が高次の精神へと移行することを意味しています。この点は、「さもなければ、受肉前に設定された『一つの意図』としての人生全体の経験が失われてしまう」というあなたの言葉とも一致します。だとすれば、観測者は識別を行っているのではなく、むしろ「認識(自覚)」を行っているのではないでしょうか?

❗️leeの回答:

私は用語の定義で議論を戦わせることをあまり好んでいません。というのも、用語の細部にこだわりすぎると、本質的な視点の明晰さが損なわれてしまう危険があるからです。

ある言葉に対してあなたが抱く意味的な繋がりと、他人が抱くそれは必ずしも一致するとは限りません。そして、その違いを突き詰めようとすれば、何年もの歳月を費やすことになってしまいます。

ですから、ここでは定義そのものを提示するだけで十分です。もしこの定義を受け入れていただけるなら、この問いは解決したことになります。もしそうでないなら、それは意味論や言語学、あるいは哲学といった別の領域の話になります。

「観測」とは、出来事を確定させ記録する機能のことです。

「認識(自覚)」とは、意味を自分自身に適用する機能のことです。

「観測者」に対して、確定(観測)以外の何らかの意味を付け加えてしまうと、その機能は別のものに変わってしまいます。それはもはや別の言葉、別の概念で呼ぶべきものなのです。

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ソース元

  • Сайт автора lee

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